プロダクション・プレッシャーと麻酔専門職

Richard C. Prielipp, MD, MBA, FCCM
サマリー: 

麻酔専門職は、患者安全と手術室効率という衝突する地殻プレートのかじ取りをしなければならない。しかし我々は、この産業上の課題を扱うのに優れているわけではない。Erik Hollnagelは、効率と徹底性が両立することはないという、工学の効率と徹底性のトレードオフ(efficiency–thoroughness trade-off, ETTO)の原則13 が、医療専門職が議論している手術室効率と患者安全の対立と類似していると解説した。どの業界でも、力と力がずれてくると、欠陥や危害を伴う事故が発生する可能性が高くなる。したがって、逸脱の正常化を回避し、効率と徹底性のバランスを維持し、教育の遺産や責任が侵食されるのを回避するために、我々は引き続き警戒する必要がある。プロダクション・プレッシャーの脅威は、厄介で、これまでのところ揺るぎがなく、20年以上にわたってAPSFの焦点となってきた。そして、今後もそれは続いていくだろう。

元の記事はオンラインで参照可能:https://dev2.apsf.org/article/special-issue-production-pressure-does-the-pressure-to-do-more-faster-with-less-endanger-patients-potential-risks-to-patient-safety-examined-by-apsf-panel/

はじめに
[当時]

APSFがプロダクション・プレッシャーの概念に最初に取り組んだのは1998年だった。麻酔専門職たちが表明した懸念の高まりと、麻酔業務中のプロダクション・プレッシャーに関する1994年の画期的な体系的議論に刺激されて、1 初期に制作し全国的に配布していた教育ビデオシリーズの第27巻で取り上げたのだ。このトピックは重要で強い関心を持たれていると認識され、2001年春には包括的にAPSFニュースレター「特集:プロダクション・プレッシャーより多く、より速く、より安くというプロダクション・プレッシャーが、患者を危険にさらしているのではないか?APSF識者たちが精査した患者安全に対する潜在的リスク」を発行することになっ た。この特集の題目には、患者の視点、学術的な活動、個人的な慣行、術前評価、スケジュール編成とスタッフ、ICU、ICU看護、工業、管理といった、患者安全とプロダクション・プレッシャーに関する多くの思慮深い議論が含まれていた。このような努力をよそに、優先順位の矛盾とややこしい複雑さのために、この問題はこの20年間で激化の一途をたどっている。

[現在]

1986年のチャレンジャーシャトル災害の根本的な原因の1つは、プロダクション・プレッシャーであった。

1986年のチャレンジャーシャトル災害の根本的な原因の1つは、プロダクション・プレッシャーであった。同様のプレッシャーは、麻酔管理でも患者安全の課題を生み出す。

同様のプレッシャーは、麻酔管理でも患者安全の課題を生み出す。実際、「より良く、より速く、より安く」というNASAとビジネス文化の古典的な信念を、継いで採用している手術室管理者や手術室運営者は多い。世界中で病院予算が普遍的に抑え込まれていることや、手術室が依然として高コスト・高収益・集中的な資源消費場所と見なされていることを考慮すると、手術室内の効率(単位時間あたりの活動)向上を優先させる以外に選択肢はほとんどないとリーダーたちは考えている。手術室勤務者にこの方針が適用された結果、プロダクション・プレッシャーは継続的に増大し、現在ではほとんどの医療者がこれと絶え間なく付き合っている。1 10年前に、APSFの25周年記念式典でJohn Eichhorn2 が、麻酔専門職たちに2つの基本的な信条を思い出させてくれた。基本的で防ぎうる人的ミスはこれからも依然として発生するだろうということと、麻酔業務におけるプロダクション・プレッシャーはこれまで高めてきた安全性を脅かすということである。彼の言葉は未来を予感させる…当時と現在のことを思うと。

プロダクション・プレッシャーは、「より少ないもので、より多くのことをやる」というように麻酔専門職が生産性を最優先事項に位置付けるときに経験する、明白なあるいは潜在的なプレッシャー、評価基準、動機と定義できる。より質の高い臨床業務をより数多く,しかも消費する資源(人的資源も物的資源も)はより少なく、ということが同時に期待されている現在の手術室文化の経済環境を、事実上すべての麻酔専門職が経験しているのは明らかである。このようなプレッシャーの結果は多面的だが、ここでは患者安全の3つの重要な領域に対するプロダクション・プレッシャーの影響に注目していく。

  1. 逸脱の正常化
  2. 医療者のストレスと燃え尽き症候群
  3. 教育とトレーニングへの影響

逸脱の正常化3

「より良く、より速く、より安く」

—航空宇宙局(NASA)

1986年の寒い1月のあの打ち上げよりも前に、Oリング侵食の問題は何度も記録されていたのに、なぜNASAはチャレンジャーシャトルを飛行させ続けたのか?そして、コロンビアシャトルの致命的な事故の何年も前から、発泡断熱材がシャトルの脆弱な部位に定期的に当たっていたことを知っていたのに、なぜNASAはコロンビアシャトルを飛行させ続けたのか?これらの事故について次のような説明ができる。長い年月にわたって多くの出来事があったことで「正常化」されてしまった結果、管理者やエンジニアがその欠陥は想定されたもので、したがって許容できるものだと信じていた。3 Diane Vaughanは、この行動を「逸脱の正常化」と表現した。4 この少しずつ進むプロセスは、通常手順が段階的に侵食されるものであって、単一で突然に提案された場合は決して許容されないようなものである。「逸脱の正常化」では、小さな逸脱に注目がされ、これは許容される。事故にならなければそれらは「正常化」されるのである。4

実際、チャレンジャーシャトルが最初に設計されたときに、許容範囲外の温度ではロケットブースターのOリングが収縮し、弱まり、漏れることがわかっていたため、シャトルを氷点下の温度で打ち上げることは許容されていなかった。このようなイベントが最初に起こったときは、明らかに安全上の影響が認識された。しかし、誤った分析により、シャトルはこのような異常なイベントに耐えられると結論付けられた。管理者たちとエンジニアたちは、臨時の修正を行うか、あるいは単にリスクを受け入れるかを決定した。そしてこの決定は、安全性の違反を、許容あるいは管理できる技術的な逸脱として受け入れた先例を作ってしまった。問題が再発してもシャトルが飛行し続けると、エラーが許容できるという誤った推論が補強された。

最も重要なのは、逸脱の正常化は安全文化を壊すものであり、臨床麻酔業務でもこれと同様のことが起こりうるという点である。3,5 疲労していても働く、安全システムの回避策を生み出す、病院や部署のガイドラインの境界線を広げる、スケジュール通り進めるために患者ケアを「手抜き」のレベルで済ませる。プロダクション・プレッシャーは頻繁にこれらの主要因となっている。6

これらの慣行は、きまって効率化と時間通りのスケジュールのために、ますます多くの「マイナーな」エラーを許容し、ますます多くのリスクを許容する。全体として、そして時間の経過と共に、滑りやすい坂道を生み出していくのである。この有害な考え方は、そのような逸脱は安全であり患者のリスクを上昇させないというエビデンスを求めるのではなくて、その代わりに、そのような省略が患者に明らかに害を及ぼすエビデンスがあるのかという考え方に進展する可能性がある。

実際には、危険な逸脱を正常化する方向に向かっている時期を自分で認識できない医療機関がほとんどである。しかし、ほとんどの第一線の臨床医なら、その病院の業務と手順の中にそのような「正常化」をいくつも簡単に特定できることだろう。これは間違いなく、消費する資源とコストを削減している一方で、スケジュールを守り、入れ替え時間を短縮し、手術の開始遅延ましてやキャンセルをなくすことへの期待がますます高まっていることに起因している。このような異常な慣行を減らすための戦略は、逸脱が正常化される前にそれを特定して消滅させるための開かれたコミュニケーション文化を構築することから始まる。故障モード影響解析(failure mode and effects analysis, FMEA)は、患者に危害が及ぶ前に変更が必要な可能性がある方針や手順を評価するための、実証された予防法の1つである。7

燃え尽き症候群

「それは光の季節であり、それは暗闇の季節であり、それは希望の春であり、それは絶望の冬であった。」

—Charles Dickens

医療専門職は困難な時代にあり、日常業務で扱う対象も変化する(例:COVID-19!)。さらに麻酔科学は、合併の時期、慣行の統合、契約職員への移行を経験しており、その自律性が劇的に影響を受けている。包括払い制度、償還額の減少、風変わりで使いづらい電子カルテ、規制当局からの多くの要求(臨床統計の提出など)によって、日常生活をしばしば消費している。このような環境の中でも、麻酔業務に対する需要は高まっており、専門の看護師や医師が全国的に不足するという事態に直面している。さらに我々の診療というのは、地元で競合する他病院と事実上の競争をするために、病院のクオリティ・インディケーターや患者満足度評価の国内基準を超えているかどうかという内外からのプレッシャーに満ちている。8 したがって、この10年間で医療界でも従事者の燃え尽き症候群が大幅に増加しているのは当然のことであり、その流行の中で麻酔専門職はよく目立つ例である。9

燃え尽き症候群とは、どのようなものであり、その原因はなにか。燃え尽き症候群とうつ病は関連しているが、燃え尽き症候群とうつ病は異なる。燃え尽き症候群は症状のパターンである。医療者なら、身体的・感情的な疲弊、自分が世界から引き離された感覚から生じる皮肉な考え方、労働努力の低下や常習的欠勤が報告されている。7,8 そしてこれは、個人としても専門職としても重大な結果につながる。例えば、燃え尽きた医師は、人間関係が崩壊しやすく、アルコールや薬物乱用の発生率が高く、うつ病や自殺のリスクが高いことを示した研究もある。10

燃え尽き症候群の原因となる因子として、過剰な仕事量、ワークライフバランスの不均衡、専門職としての尊敬の喪失、自律性の喪失、コミュニティの喪失などが多くの研究で特定されている(表1)。麻酔専門職が燃え尽き症候群になる確率は、他の専門職と比較すると平均よりも高いと報告されている。実際に、2017年には麻酔科医の50%が燃え尽きた感覚があると報告している。これは2011年から著しく増加しており、一般的な成人労働者より倍多かった。10

表 1:麻酔専門職の燃え尽き症候群の要因となる可能性がある因子

• プロダクション・プレッシャー
• 増大し続ける仕事の需要
• 自律性の侵食
• 職場での正しい評価と尊敬の欠如
• 患者からの専門職としての尊敬の喪失
• ワークライフバランスの破綻
• 専門職/個人の価値観と組織の価値観との対立
• 役所仕事的な過負荷と使いづらい電子カルテ
• 政府の規制
• 雇用の不安

我々の職場では、医療者一人当たりの患者数、時間、労力が、ここ数年で大幅に増加している。そしてMedical Group Management Association(MGMA)のデータは、麻酔科全体の一貫した傾向としてこれを裏付けている。麻酔専門職は、より長時間働き、より多くの場所に広がり、より多くの時間を電子カルテの前で費やし、自分のスケジュールはますます管理しづらくなっている。この課題に加えて、麻酔科の労働力の中でも最も急速に増えているミレニアル世代(訳注:一般的に1980年代から2000年初めまでに生まれた若者の世代)にとっては、ワークライフバランスが最優先事項であるという事実もある。燃え尽き症候群になった専門職は、生産性が低く、離職の可能性が高く、今後の労働努力が低下する可能性が高い。言うまでもなく、これらすべてが患者安全に重大な悪影響を及ぼす可能性がある。燃え尽き症候群の医療者が質の低い医療を提供すれば患者満足度が低下するし、燃え尽き症候群の医療者は医療ミスを起こす可能性がより高い。7,8 したがって、“医療者の苦悩”という項目は、各病院で測定すべきクオリティ・インディケーターのひとつなのである。10

教育への影響

「教育とは、桶を満たすことではなく、火を灯すことである。」

–W. B. Yeats

従来の通念では、手術室内の指導医に経済的プレッシャー(つまり生産性)がかかると、麻酔科研修医教育と患者を中心に据えたベッドサイドでの教育に悪影響を与えるとされる。現在のところ、この考えを直接裏付けるデータは少ししかない。麻酔科教育に関するドイツの全国調査では、回答者の96%が、教育の主な障害として「日々の仕事量」「時間のプレッシャー」「時間の不足」を挙げた。11 米国の4つの学術センターで行われた最近の横断調査では、指導医の3分の1以上が、最適な麻酔科研修医教育を妨げる重要な要因として「不十分な時間」「指導医が複数の手術室をカバーする場合」「効率の重視」を特定した。12 ともかく心強く感じたのは、指導医の大多数が、麻酔維持中に研修医の指導をするためにわざわざ定期的に手術室に戻って、麻酔教育者としての役割を高度に果たしてくれていたことだ。

まとめ

麻酔専門職は、患者安全と手術室効率という衝突する地殻プレートのかじ取りをしなければならない。しかし我々は、この産業上の課題を扱うのに優れているわけではない。Erik Hollnagelは、効率と徹底性が両立することはないという、工学の効率と徹底性のトレードオフ(efficiency–thoroughness trade-off, ETTO)の原則13 が、医療専門職が議論している手術室効率と患者安全の対立と類似していると解説した。どの業界でも、力と力がずれてくると、欠陥や危害を伴う事故が発生する可能性が高くなる。したがって、逸脱の正常化を回避し、効率と徹底性のバランスを維持し、教育の遺産や責任が侵食されるのを回避するために、我々は引き続き警戒する必要がある。プロダクション・プレッシャーの脅威は、厄介で、これまでのところ揺るぎがなく、20年以上にわたってAPSFの焦点となってきた。そして、今後もそれは続いていくだろう。

 

Richard C. Prielippはミネアポリスのミネソタ大学麻酔科教授で、APSFの取締役である。


著者にこの記事に関する利益相反はない。


参考文献

  1. Gaba DM, Howard SK, Jump B. Production pressure in the work environment. California anesthesiologists’ attitudes and experiences. Anesthesiology. 1994;81:488–500.
  2. Eichhorn JH. The Anesthesia Patient Safety Foundation at 25: a pioneering success in safety, 25th anniversary provokes reflection, anticipation. Anesth Analg. 2012;114:791–800.
  3. Prielipp RC, Magro M, Morell RC, Brull SJ. The normalization of deviance: do we (un)knowingly accept doing the wrong thing? Anesth Analg. 2010;110:1499–1502.
  4. Vaughan D. The Challenger launch decision. risky technology, culture, and deviance at NASA. University of Chicago Press, Chicago, IL, 1996.
  5. Wears RL, Sutcliffe KM. Still not safe. Oxford University Press. NY, NY: 2020.
  6. Cohen JB, Patel SY. Getting to zero patient harm: from improving our existing tools to embracing a new paradigm. Anesth Analg. 2020;130:547–49.
  7. Martin LD, Grigg EB, Verma S, et al. Outcomes of a failure mode and effects analysis for medication errors in pediatric anesthesia. Paediatr Anaesth. 2017;27:571–580.
  8. Gurman GM, Klein M, Weksler N. Professional stress in anesthesiology: a review. J Clin Monit Comput. 2012;26:329–335.
  9. Kleinpell R, Moss M, Good VS, et al. The critical nature of addressing burnout prevention: results from the critical care societies collaborative’s national summit and survey on prevention and management of burnout in the ICU. Crit Care Med. 2020;48:249–53.
  10. Kuhn CM, Flanagan EM. Self-care as a professional imperative: physician burnout, depression, and suicide. Can J Anesth. 2017;64:158–168.
  11. Goldmann K, Steinfeldt T, Wulf H. Anaesthesia education at German University hospitals: the teachers’ perspective – results of a nationwide survey. Anasthesiol Intensivmed Notfallmed Schmerzther. 2006;41:204–209.
  12. Haydar B, Baker K, Schwartz AJ, et al. Academic anesthesiologists perceive significant internal barriers to intraoperative teaching in a cross-sectional survey. J Educ Perioper Med. 2019;21:E628.
  13. 13. Hollnagel E, Wears RL, Braithwaite J. From safety-I to safety-II: a white paper. the resilient health care net: published simultaneously by the University of Southern Denmark, University of Florida, USA, and Macquarie University, Australia. 2005 https://www.england.nhs.uk/signuptosafety/wp-content/uploads/sites/16/2015/10/safety-1-safety-2-whte-papr.pdf Accessed August 25, 2020.