記事エディトリアル: 妊産婦安全のための全国パートナーシップ ― 妊産婦安全バンドル

埼玉医科大学総合医療センター産科麻酔科 照井克生

Anesthesia Patient Safety Foundation Newsletter に掲載された記事“National Partnership for Maternal Safety-Maternal Safety Bundles” (ASPF 2016;31:30-35) 対するコメント:防ぐことができる母体死亡原因と母体安全バンドルについて

日本語コメントの目的

APSFニュースレターの本記事では、母体安全のための全米を挙げての取り組みであるNational Partnership for Maternal Safety(NPMS)の活動を紹介している。NPMSは多数のコンセンサス・バンドル(各種ガイドライン推奨から抽出した一連の推奨セットであり、実施により各施設の目標達成に役立つと期待されるもの)を発表している。本ニュースレターでは、NPMSがこの2年間に発表してきた、回避可能性が高い母体死亡原因である産科出血、静脈血栓塞栓症、妊娠高血圧症候群の3つのバンドルについて、バンドル2つの共著者でもある麻酔科医Barbara Scavoneが記事を執筆し、バンドルを紹介・概説している。

日本では分娩の約半数が小規模産科施設で取り扱われるなど、集約化が進んでおらず、米国の産科医療提供体制とは大きな違いがある。最近の硬膜外無痛分娩における高位脊髄くも膜下麻酔による妊産婦死亡発生は極めて残念であり、、日本における麻酔科医のマンパワー不足や、麻酔科subspecialtyとしての産科麻酔の量的・質的遅れ(1960年に発足した日本産科麻酔学会(旧無痛分娩研究会)の会員の半数は産科医であり、会長も産科医であるなど)も背景にあるだろう。このような日米の医療事情の違いを考慮して、本記事で紹介された3つのバンドルをどう考えるか、なぜこのバンドルが重要かを以下に解説する。

産科出血バンドル

日本の母体死亡率は世界でも最低水準だが(出生10万対3.71))、産科出血が死亡原因の第1位である(2010年に開始された妊産婦死亡症例検討会による過去7年間の母体死亡中の23%)2)。そのため日本産科婦人科学会、日本輸血細胞治療学会、日本麻酔科学会は2010年に「産科危機的出血への対応ガイドライン」を作成し、2017年に「産科危機的出血への対応指針2017」として改訂した3)。この指針は、ハイリスク患者を妊娠中に高次医療機関へ紹介、出血発生時にはバイタルサインと出血量に基づく重症度に応じた段階的対応、フィブリノゲン濃度測定、赤血球製剤と新鮮凍結血漿の比率など、米国の産科出血バンドルと共通する項目も多い。日本の指針の特徴は、出血量評価に加えてショックインデックスを重視していることであり、輸血療法や止血治療の内容もフローチャートに書き込んでいる。

日本の分娩施設のうち周産期センター以外の8割は輸血用血液製剤を常備していない現状だが、米国でも輸血用血液製剤が院内に十分ある施設ばかりとは限らない。バンドルでは、そのような施設は地域や州の救急システムとの間で緊急血液供給プランを検討すべきとしており、日本の妊産婦死亡症例検討会による「母体安全への提言2011」と共通する。出血対応シミュレーションは日本の指針でも推奨されている。

このように米国の出血バンドルは、日本の指針と矛盾する項目はなく、施設の準備態勢やイベント後対応など具体的かつ包括的であり、日本の医療施設でも等しく追求すべきものと言える。そして指針やバンドルを各施設が実際に行えるように、バンドル解説論文4)で引用されているtoolkitを日本でも活用できるように翻訳・改変することが急務である。

静脈血栓塞栓症(VTE)バンドル

最新の「日本産科婦人科学会診療ガイドライン産科編2017」5)では、推奨内容が最も厳しかった英国のガイドラインをしばしば引用し、それにかなり近づいた。英国ガイドラインは、米国の現在の臨床よりも抗凝固療法に積極的なガイドラインであり、たとえば、「全ての帝王切開術後患者は、低分子量ヘパリンによる抗凝固療法を術後10日間継続することを考慮すべきである。ただし、予定帝王切開術後患者では、追加のリスク因子がある場合には低分子量ヘパリン術後10日間を考慮すべきである」6) と推奨されている。しかし日本のガイドラインでは、抗凝固療法の期間は明記せず、低分子量ヘパリンの添付文書上の適応には経腟分娩は含まれていない。英国では最初の2004年版ガイドラインを実践した後に肺塞栓による母体死亡が有意に減少した。そこで今回の米国バンドルでも、ルーチンに静脈血栓塞栓症リスク評価を行い、それに基づきより広範に予防的抗凝固療法を考慮することが推奨されるなど、英国ガイドラインに近づいてきた。従って、この米国バンドルを日本でも同様に採用できる。

妊産婦ではもともとVTEのリスクが高く抗凝固療法必要例が増える一方で、帝王切開でも無痛分娩でも区域麻酔が推奨されるため、産科患者での抗凝固療法と区域麻酔との兼ね合いは大きな問題である。日本の3学会合同「抗血栓療法中の区域麻酔・神経ブロックガイドライン」でも妊婦の項目を別に立てている7)。VTEバンドル解説論文8)では、現行の2010年版ASRA(American Society of Regional Anesthesia and Pain Medicine)ガイドラインでは区域麻酔可能とされているヘパリン1日1万単位皮下注による予防的抗凝固療法について、次の改訂では厳しくなる可能性を示唆している。日本の3学会合同ガイドラインでは既に、ヘパリン1日1万単位皮下注でもaPTTが延長する患者が存在するため、区域麻酔施行による脊柱内血腫の危険性に注意を促している。

妊娠高血圧症候群バンドル

日本の母体死亡症例検討において、HELLP症候群での脳出血は高率に母体死亡に至ることが明らかとなった。すなわち、脳出血患者がHELLP症候群を合併している場合の死亡率は80%であったのに対して、脳出血患者が妊娠高血圧症候群や脳動静脈奇形を合併していた場合の死亡率はそれぞれ、40%と15%だった9)。従って脳出血予防のために収縮期血圧管理の重要性を強調した今回のバンドルは、日本においても普及させる意義は高い。米国では妊娠高血圧症候群患者での静注用降圧薬としてヒドララジンとラベタロールが頻用されるが、日本ではニカルジピン静注が頻用される。ヒドララジンは作用発現が遅く作用持続時間が長いために、目標血圧を目指しての調節性に乏しいことから、日本での使用経験が激減した。ラベタロール静注製剤は日本にはないため、妊娠高血圧症候群患者での使用が広がらない。子癇発作予防として効果の高い硫酸マグネシウムを、米国バンドルでは重症例において積極的に推奨している。日本では周産期センター等で硫酸マグネシウムの重要性が良く理解されているものの、小規模施設では使用が広がりつつある現状である。硫酸マグネシウム過量投与による心肺停止が日本でも発生していることからも、マグネシウム過量投与の対処法も含まれているこのバンドルは、日本の女性にとっても役立つ臨床目標を提示している。なお、日本は伝統的に独自の妊娠高血圧症候群診断基準を用いてきたが、今年になり国際的な診断基準とほぼ同一になったため、このバンドルや教育素材を日本でも活用しやすくなるだろう。

麻酔科医の役割を強調

APSFニュースレター本記事の末尾で強調しているように、蘇生と全身管理の専門家である麻酔科医が母体死亡を減らすために果たせる役割は大きい。日本の麻酔科医も手術室での帝王切開の麻酔にとどまらず、分娩室や救急初療室、産科病棟での急変対応に積極的に関与していくことの重要性を、本記事と3つのバンドルが示している。

日本麻酔科学会が母体の1つである「日本母体救命システム普及協議会J-CIMELS」では、母体急変対応ドリルとして「ベーシックコース」と「アドバンスコース」を提供している。アドバンスコースのシナリオには、まさにバンドルが取り上げている出血、肺塞栓、子癇も含まれている。2018年度の日本麻酔科学会学術集会でもコースを開催する予定であり、それが麻酔科医が産科医や救急医と連携を強化して母体救命に貢献する契機なることを期待したい。


文 献

  1. 人口動態統計2016年版(http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/kakutei16/dl/11_h7.pdf, 最終アクセス2017年11月1日)
  2. 池田智明他、母体安全への提言2016(http://www.jaog.or.jp/sep2012/diagram/notes/botai_201http://www.jaog.or.jp/
    wp/wp-content/uploads/2017/08/botai_2016.pdf0.pdf
    (最終アクセ2017年11月1日)
  3. 竹田省他、産科危機的出血への対応指針2017(J Obstet Gynaecol Res. 2017 ;43:1517-1521.に英語版あり、日本語版は(http://www.jaog.or.jp/all/letter_161222.pdf、最終アクセス2017年11月1日))
  4. Main EK, Goffman D, Scavone BM, Low LK, Bingham D, Fontaine PL, Gorlin JB, Lagrew DC, Levy BS; National Parternship for Maternal Safety; Council for Patient Safety in Women’s Health Care. National Partnership for Maternal Safety: consensus bundle on obstetric hemorrhage. Anesth Analg 2015;121:142-8.
  5. 日本産科婦人科学会・日本産婦人科医会編集・監修、産婦人科診療ガイドライン産科編2017
  6. Royal College of Obstetricians and Gynaegologists. Green-top Guideline No. 37a. Reducing the Risk of Venous Thromboembolism during Pregnancy and the Puerperium. April, 2015 (https://www.rcog.org.uk/globalassets/documents/guidelines/gtg-37a.pdf, last accessed on November 1, 2017.)
  7. 日本ペインクリニック学会・日本麻酔科学会・日本区域麻酔学会合同抗血栓療法中の区域麻酔・神経ブロック ガイドライン作成ワーキンググループ. 抗血栓療法中の区域麻酔・神経ブロックガイドライン, 2016年9月.
  8. D’Alton ME, Friedman AM, Smiley RM, Montgomery DM, Paidas MJ, D’Oria R, Frost JL, Hameed AB, Karsnitz D, Levy BS, Clark SL. National Partnership for Maternal Safety: Consensus Bundle on Venous Thromboembolism. Anesth Analg 2016;123:942-9.
  9. 池田智明他、母体安全への提言2011 (http://www.jaog.or.jp/sep2012/diagram/notes/botai_2010.pdf最終アクセ2017年11月1日)
  10. Bernstein PS, Martin JN Jr, Barton JR, Shields LE, Druzin ML, Scavone BM, Frost J, Morton CH, Ruhl C, Slager J, Tsigas EZ, Jaffer S, Menard MK. National Partership for Maternal Safety: Consensus Bundle on Severe Hypertension During Pregnancy and the Postpartum Period. Anesth Analg 2017;125:540-547.
  11. 日本母体救命システム普及協議会(https://www.j-cimels.jp//)